山下 福田平八郎の作品におけるトリミング、フレーミングといった写真的ビジョンのお話をしましたが、今回は我々自身が平八郎的センスを意識した写真を撮影して、写真という視点から平八郎の作品世界を見ていこうという企画を立てました。それではまず私の写真から。
鈴木 これは、日本美術の大コレクターとして著名なエツコ&ジョー・プライス邸の壁面ですね。一緒に取材に行きましたよね。
山下 そう、大正解!この壁、薄く切った不定形の板を何枚も貼りめぐらせて曲面にしているんです。凝りに凝ってますよね。その壁面の一部分を切り取って、つまりトリミングして撮影してみました。《雨》に描かれた瓦と少し通じ合うのではという気がしますが、いかがでしょうか。
鈴木 通じ合ってますね。《雨》という作品は、雨の降り始めの決定的瞬間を切り取っているのがすごいな、と思います。
山下 本当にそうですね。まだ降り始めだからポツポツという雨の痕が見えるわけです。これが本降りになってくるとポツポツとは見えないですもんね。その時間表現も《雨》の見どころの一つです。加えて、雨の降り始め独特の土くさい匂いまで感じますね。 なにげない絵のように見えて、ものすごく高度な表現なんですよ。
山下 私のほうからトリミングということでもう1枚。
山下裕二氏撮影 | 「千羽鶴」「浜松」「薄に桔梗」 俵屋宗達(絵)、本阿弥光悦(書) 《四季草花下絵和歌短冊帖》 (全18枚のうち) 山種美術館蔵 |
山下 ヴェネチアの駐車場に立つ照明の柱をトリミングして撮影してみました。この感覚は平八郎的というか、琳派的と言っていいかもしれません。今では琳派の祖と言われている江戸時代初期の絵師、俵屋宗達の作品の中には、風景を大胆にトリミングして描いたような作品が結構ありますからね。
平八郎が若い時、つまり大正から昭和初期は、日本画家たちが琳派のセンスを意識的に取り込んだ時代でした。明治時代までは、琳派といえば断然尾形光琳が有名でしたが、大正時代以降に宗達が再評価されて、そのトリミング、フレーミングのセンスを積極的に取り入れようとする人たちが出てきたのです。平八郎も琳派が好きだと言っているんですよ。
鈴木 なるほど、平八郎のトリミング、フレーミングのセンスは琳派からの影響もあるということですね。