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福田平八郎 《花菖蒲》 1957(昭和32)年 京都国立近代美術館蔵 |
鈴木 平八郎の代表作《雨》や《漣》という作品を見ると、ある風景を切り取ることでパターン化するというか、モチーフが抽象的になっていると思うのですが・・・。
山下 抽象への志向は平八郎の作品の中に確かに見出せますね。近代日本画家の中でも際立っています。琳派にもそのような志向はありますが、平八郎は更に一歩進んでいて、抽象性においても《雨》と《漣》は突出した表現になっていると思います。
鈴木 それでは、その抽象性を意識した写真を1枚。
山下 一瞬ビルの壁面かと思いましたが、これは電線ですね。こんなに交差してる電線は珍しいですね。
鈴木 珍しいでしょ。ここは先生もいらっしゃったことがある場所だと思うのですが、静岡県三島にあるヴァンジ彫刻庭園美術館です。 その庭で高圧線が交差してるいるんですよ。庭も素晴らしいですけど、あえて空と電線だけを切り取って抽象化してみました。
山下 それでは、私から最後の一枚を。
鈴木 いいですね、この写真!
山下 コンクリートの舗装の境目の土が少しだけあるところから雑草が生えてきています。
鈴木 目地をちゃんとゴムでふさいでいるのに、その間からたくましく生えてきているんですね。この雑草の生命力は平八郎の《筍》に通じるところがありますね。
山下 そうですね。モノクロームの中に少しだけ緑が見えてるという感覚も《筍》的でしょうか。《筍》も地面に落ちた竹の葉を墨一色で描いていますから。
鈴木 色を捨てるというのも平八郎の特徴かもしれませんね。
山下 色を捨てるとは上手い表現ですね!
平八郎は、カラリストと言われていて、自分はモノを見たときに形や線よりも、まず色に目がいくと語っています。そういう意味では本当にカラリストだったと思うのですが、実は彼の真骨頂はカラリストであると同時に色を捨てる、そのセンスなのです。《雨》もそうですが《筍》の色の捨て方も実に巧みです。